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インディファティガブル (帆走フリゲート) : ミニ英和和英辞書
インディファティガブル (帆走フリゲート)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ほ]
 【名詞】 1. sail 
帆走 : [はんそう]
  1. (n,vs) sailing 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

インディファティガブル (帆走フリゲート) : ウィキペディア日本語版
インディファティガブル (帆走フリゲート)[ちょうおん]

インディファティガブル (HMS Indefatigable) は、イギリス海軍の帆走フリゲート。もともとは1761年に設計された3等級64門アーデント級戦列艦の1隻だった。
インディファティガブルは1780年8月3日に発注され、1781年5月、ハンプシャーのバッカース・ハードで起工された。進水は1784年の6月初旬で、2層甲板64門装備の3等戦列艦としての艤装はポーツマスにおいて同年7月11日から9月13日にかけて行われた。建造費は25,210ポンド4シリング5ペンス、船底の銅張りのコストも含めると36,154ポンド18シリング7ペンスであった。本艦は完成時点ですでに時代遅れとなっており、そのため本来の戦列艦としての任務にはほとんど用いられなかった。1794年9月からポーツマスで行われた"レイジー"化工事によって、本艦の上部砲甲板は取り去られ、44門の大型重装フリゲートに変身した。費用は8,764ポンドであった。
==戦歴==
インディファティガブルは、1794年12月に、サー・エドワード・ペリュー艦長の下で就役し初航海を行った。ペリューは1798年まで本艦を指揮した。
本艦はペリュー以下の各艦長の下で多くの敵艦(そのほとんどは私掠船である)を捕獲した。(後掲リスト参照)
インディファティガブルの最も有名な戦いは、1797年1月13日、パンマル岬沖で、フリゲート「アマゾン」とともにフランスの74門戦列艦「ドロワ・ドローム」に立ち向かった戦いである(1797年1月13日の海戦)。戦いは、「ドロワ・ドローム」が強風によって海岸に乗り上げて終わった。「アマゾン」もまた陸に吹き寄せられ、乗組員のほとんどは助かったものの捕虜となってしまった。インディファティガブルは、湾に乗り入れ、マストと装帆に損害を受けながらも、よくその損害を修復し、優れた操船術を示して、海岸から離れることができた。
インディファティガブルはアミアンの和約(1802年3月)によるフランスとの休戦の結果、プリマスにおいて予備役に編入された。しかし休戦は翌年には破れ、交戦状態に戻ったため、1803年7月から9月にかけて出動準備を行い、グレアム・ムーア艦長の指揮の下に再就役した。
1804年10月5日、本艦は他の3隻のフリゲート(「メドゥーサ」、「ライブリー」、「アンフィオン」)とともに、ムーア艦長が先任士官として指揮を取って、カディス港外で4隻のフリゲート(「メデイア」、「クララ」、「ファーマ」、「メルセデス」)からなるスペインの小艦隊を捕捉した。その艦隊はカリブ海からスペインに金地金を運んで来ていた。スペインはその時点では中立国だったが、いまにもナポレオン・ボナパルトと組んでイギリスに宣戦する兆候を示していた。運ばれた金はその軍資金となるはずだった。海軍本部の命令に従い、ムーアはスペイン艦隊に進路をイギリスに変更するよう求めた。スペインの先任士官はこれを拒絶したためイギリス艦隊との間で短い戦闘が行われ、スペイン艦「メルセデス」は爆沈した。残りの3隻は降伏し、プリマスまで護送された。それらに積まれていた財宝の価値は莫大であり、それが通常の捕獲賞金の規定にしたがって分配されたとしたら、ムーアと僚艦の艦長たちは一生涯暮らせる額の何倍もの金を手にしたことだろう。しかしその捕獲は、まだ宣戦される前に海軍本部の指示で行われたものであったため、捕獲賞金の対象とならず、彼らにはそれよりも低い金額が「政府の好意によって」支払われただけであった。
インディファティガブルは1815年の南米での任務を最後に退役した。解体は1816年8月に行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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